古染付
古染付は、一般的に中国 明時代末期・天啓年間(1621-27)頃を中心に、江西・景徳鎮の民窯で焼かれた染付磁器のことで、日本での呼び名です。
民窯の染付磁器は、胎土や釉薬などが決して上質とは言えません。例えば、胎土と釉薬の収縮率が違うため、器の屈曲部などで釉薬が剥落し、胎土を露しているものもあります。これは、まるで虫が喰ったように見えるその様子から“虫喰い”と呼ばれます。茶の湯の茶人は、ここに自然の雅味を見出して喜び、その味わいを美的効果として評価しました。
古染付の呼び名は諸説ありますが、江戸時代の資料には見られないことからも決して古くから使われていた言葉ではないようです。茶会記や箱書きによると、江戸時代以前には南京、つまり中国渡りの染付との意味で南京染付と呼ばれていたようです。その後、江戸時代後期に伝わった新渡りと呼ばれる清朝時代の染付に対して、初期に渡った古渡りの染付、「古染付」と呼ばれたとの説が一般的です。
江戸時代初期の日本では茶人が新奇な茶道具や飲食器を注文焼成させる風潮もあり、日本人好みの茶道具や飲食器を中国へ注文したと考えられています。
中国では明朝が衰退していく乱世の中で、景徳鎮民窯が官窯に取って代わった時期であり、民窯の染付磁器は、胎土や釉薬などが決して上質とは言えませんが、それまでの型にはまった様式から一歩踏み出し、簡略で自由奔放な絵付けや、独創的な造形、釉薬が剥奪している虫喰でさえからも自然の風流な味わいを見出して喜び、粗雑な雰囲気を趣きがあるとして、その当時の日本人は愛玩しました。そして、その愛でる文化は今日まで引き継がれています。