古美術用語集

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上田 恒次

上田恒次 1914 - 1987 1914年に京都の呉服商「松屋」に次男として生まれる。富本憲吉の『窯遍雑記』を読み陶芸家を志すようになる。 上田恒次は、河井寬次郎の弟子にあたる陶芸家である。 上田は京都市立第二工業学校(現京都市立伏見工業高等学校)陶磁器科を卒業し、 独学で建築を学んだ。上田は河井に弟子入りすることをなかなか許されなかったが、自邸の建築を相談した際に建築好き同士意気投合

井上 萬二

井上 萬二 1929 - 佐賀県西松浦郡有田町出身。 1952年頃、14代酒井田柿右衛門(「色絵磁器」人間国宝)、奥川忠右衛門 (「白磁の大型つぼ製作技術」人間国宝)らに師事、白磁制作の技法を習得した。 1958年から県立有田窯業試験場に勤務しながら磁器の成形、釉薬の研究を重ね、伝統的な白磁制作技法を極めた。 1969年、ペンシルベニア州立大学から有田焼の講師として招かれて渡米し、5ヶ

11代永楽善五郎(永楽保全)

11代永楽善五郎(永楽保全) 寛政7年~嘉永7年 (1795~1854) 名は千太郎。生家は京都上京の織屋沢井家と伝えられ、初め大徳寺黄梅院の大綱宗彦のもとで喝食となるが、大綱宗彦の仲介で了全の養子となる。文化4年(1807)頃である。 文化14年(1817)11代善五郎となる。この頃結婚するが、妻は女児を産んで亡くなる。その後、幼少時奉公した百足屋木村小兵衛氏の娘と再婚し、文政6年(182

16代永楽善五郎(永楽即全)

16代永楽善五郎(永楽即全) 大正6年~平成10年(1917~1998)享年82歳。 16代永楽善五郎。14代得全の甥15代正全の子。妙全の養嗣子。 三井家・三千家に出入りし数々の名品を作る。茶道隆盛と共に現代の名工の一人に数えられる。   大正11年:妙全の養子となる。 昭和10年:16代善五郎を襲名する。 昭和12年:大磯の三井家城山荘内に城山窯を築き、昭和20年まで毎

大田垣 蓮月

大田垣 蓮月  1791(寛政3)-1875年(明治8) 江戸後期-明治時代の歌人。京都知恩院の寺侍大田垣光古(てるひさ)の養女。2度むかえた夫や子供らに先立たれ、文政6年、出家し、蓮月尼と称した。自分の歌を彫り込んだ陶器 蓮月焼で知られる。和歌は上田秋成、六人部是香(むとべよしか)に学んだという。京都出身。本姓は藤堂。名は誠(のぶ)。家集に「海人の刈藻(かるも)」。出家後の蓮月は、

八木 一夫

八木 一夫 1918-1979  昭和時代の陶芸家。 大正7年7月4日生まれ。八木一艸(いっそう)の長男。京都出身。 京都市立美術工芸学校卒。沼田一雅(かずまさ)に師事。 昭和22年「青年作陶家集団」、翌年、前衛陶芸団体「走泥社」を結成。 オブジェ作品「ザムザ氏の散歩」を発表し、現代陶芸に新分野を確立した。 昭和46年京都市立芸大教授。 昭和25年パリ・チェルヌスキー博物館での現代

二代 宮川(真葛)香山 

二代 宮川(真葛)香山  安政6年~昭和15年(1859~1940) 横浜の陶芸家。本名半之助。帝室技芸員の初代香山を助け優れた作品を残す。大正5年(1916)初代香山逝去後、正式に二代香山を襲名する。帝展・各美術展に出品した。板谷波山と並んで関東の美術界に君臨した。昭和15年死去。83歳。

釉下彩

釉下彩 釉下彩とは、一般的に釉薬の下に下絵を描き、焼成により発色させる技法です。 釉下彩は、はじめは明治時代にドイツ人ワグネルが指導しました。その当時、香山は高浮彫で人気を博していましたが、その人気に溺れることなく、釉下彩を研究し、明治20年頃には身につけることに成功しました。 釉下彩により、多彩な色使いや微妙なグラデーション、やわらかい表現を描きだすことが可能になりました。しかしながら、微

森陶岳

森陶岳   1937年 岡山県備前郡伊部に生まれる。父は窯元六姓家の森秀次 1959年 岡山大学特設美術科を卒業 1962年 備前町伊部の生家で作陶活動を始める 1963年 第10回日本伝統工芸展に初入選する 1966年 日本工芸会正会員となる 1969年 日本陶磁協会賞を受賞する 1977年 全長46m、幅2.7m、高さ2.1mの大窯が完成する 1979年 大窯と大甕