三浦竹軒(1900–1990)は、京都生まれの陶芸家。初代三浦竹泉の三男として生まれ、1921年、兄・二代竹泉の早逝に伴い三代竹泉を襲名した。1931年に家督を甥の四代竹泉に譲り、その後「竹軒」と称して制作を続けた。赤絵、色絵、金襴手などに優れ、特に仁清・乾山風の華麗な意匠による茶道具や花器を得意とした。1942年には政府認定の技術保存者に認定され、京都伝統陶芸家協会員としても活動。伝
深見陶治(1947–)は、京都生まれの陶芸家。京都市工芸指導所で陶技を学び、1967年に日展に初入選。青白磁を中心に、泥漿圧力鋳込みの技法を用いた、器の用途を超えた純粋な立体造形を追求している。1985年、イタリアのファエンツァ国際陶芸展でグランプリを受賞し、以後、国際的な評価を確立した。鋭く洗練されたフォルムと青白磁の繊細な釉色による作品は、東京国立近代美術館、大英博物館、メトロポリ
バーナード・リーチ(1887–1979)は、香港生まれのイギリス人陶芸家・画家。幼少期を日本で過ごし、帰英後はロンドンでエッチングを学んだ。1909年に再来日し、富本憲吉や柳宗悦らと交流する中で陶芸に関心を深め、1912年には六代尾形乾山に師事した。浜田庄司とも親交を結び、1920年に浜田を伴って渡英、セント・アイヴスに窯を築いた。日本、中国、朝鮮、イギリスの陶芸を融合し、伝統的なスリ
中里重利(1930–2015)は、佐賀県唐津市生まれの陶芸家。人間国宝・十二代中里太郎右衛門(中里無庵)の三男で、十三代中里太郎右衛門(中里逢庵)を兄に持つ、伝統ある唐津焼の陶家に生まれた。古唐津の技法や茶陶を深く研究し、優れた轆轤技術を基盤に、洗練された造形と焼成による独自の唐津焼を追求した。1952年に日展初入選、1965年には「三玄壺」で日展特選・北斗賞を受賞。1973年には三玄
堂本印象(1891–1975)は、京都生まれの日本画家。酒造業を営む家に生まれ、1918年に京都市立絵画専門学校へ入学。在学中の1920年、西山翠嶂の画塾「青甲社」に入門した。1919年、第1回帝展に《深草》で初入選し、1921年には《調鞠図》で特選、1925年には《華厳》で帝国美術院賞を受賞して画壇での地位を確立した。1933年に画塾「東丘社」を創立・主宰し、京都市立絵画専門学校教授
鈴木五郎(1941–)は、愛知県豊田市生まれの陶芸家。 織部、志野、黄瀬戸などの桃山陶を基盤としながら、伝統の模倣にとどまらない自由な造形と色彩を追求している。1969~70年のアメリカ陶芸視察では、ロサンゼルスで個展を開催するなど、海外での経験を重ねた。異なる技法を組み合わせた独自の「五利部(ごりべ)」を考案し、また「ロスオリベ」など新たな織部表現も展開。茶陶や器に加え、椅子、大壺
杉本健吉(1905–2004)は、愛知県名古屋市生まれの洋画家・図案家・挿絵画家。 1925年、京都に滞在していた岸田劉生を訪ねて師事し、1926年には春陽会展に初入選。1927年頃から鉄道・観光関係のポスターなどを手がけ、図案家としても活躍した。1938年に国画会同人となり、1940年頃から奈良の風物に魅せられて制作を続けた。1949年には東大寺観音院の上司海雲の知遇を得て、観音院
川瀬忍(1950–)は、神奈川県大磯生まれの陶芸家。二代川瀬竹春の長男として、三代続く陶家に育つ。18歳の1968年より、祖父・初代川瀬竹春と父・二代川瀬竹春のもとで作陶を始めた。古陶磁の名品に学び、研究を重ねながら、独自の造形と釉薬表現による青磁を追求している。1976年に初個展を開催し、1981年には日本陶磁協会賞を受賞。現代青磁を代表する陶芸家の一人として、個展を中心に活動を続け
角 偉三郎(1940–2005)は、石川県輪島市生まれの漆芸家。 15歳で沈金師・橋本哲四郎に師事し、1962年の修業終了後、沈金による漆パネルなど絵画的な作品を制作した。1964年、24歳で日展に初入選。その後17回入選し、1978年には日展特選を受賞した。1980年代初頭に公募展から退き、椀を中心とする制作に転じる。1970年代初めに出会った能登の古い合鹿椀に強く惹かれ、伝統的な