古美術用語集

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5代 三浦 竹泉

5代 三浦 竹泉 1934( 昭和9 ) - 昭和九年八月三十一日、四代竹泉の長男として五条坂に生まれる。幼名を徹。昭和三十二年同志社大学文学部卒業。日本文化史及び美学・芸術学を専攻。陶業を主に父四代竹泉に師事。その間、茶道・煎茶道・華道・香道を修業。昭和四十七年、五代竹泉を継承し現在に至る。竹泉窯の伝統的作風を生かすことに努力し、祥瑞・染付・赤絵・色絵・金襴手・交趾・三嶋・志野・火襷などを研

4代 三浦 竹泉

4代 三浦 竹泉 明治44年(1911) - 昭和51年(1976) 二代竹泉の長男。幼名庸蔵 名竹泉 号篩月庵(しげつあん)。京都美術専門学校に学び、絵画・陶芸ほかを修行。昭和6年、4代竹泉を継承し製陶に従事。主に煎抹茶器を制作。作風はきわめて巧緻にして優美。昭和47年長男徹に家督を譲り隠居す。    

加藤 卓男

加藤卓男 1917年 - 2005年 古代ペルシア陶器の斬新な色彩や独創的な造形、釉調に魅力を感じ、西アジアでの長年の発掘研究を経て、滅び去った幻の名陶ラスター彩の復元をはじめ、青釉、三彩、ペルシア色絵など、高い芸術性を持つ異民族の文化と日本文化との融合に成功しました。一方、昭和55年に宮内庁正倉院より正倉院三彩の復元制作を委嘱され、約9年の研究の末、「三彩鼓胴」「二彩鉢」を納入しました。この

田村 耕一

田村耕一  1918-1987  大正7年6月21日生まれ。富本憲吉に師事。昭和28年郷里の栃木県佐野に築窯,日本伝統工芸展などで活躍した。鉄絵の技法を基本にして独自の作風をきずき,イスタンブール国際陶芸展グランプリ(42年)など,国内外での受賞多数。51年母校東京芸大の教授。61年鉄絵で人間国宝。昭和62年1月3日死去。68歳。    大正7年(1

須田 剋太

須田 剋太 1906年(明治39) - 1990年(平成2) 日本の洋画家。埼玉県生。浦和画家。 当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。力強い奔放なタッチが特徴と評される。司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の挿絵を担当し、また取材旅行にも同行した。道元の禅の世界を愛した。文展に入選した翌年の昭和9年には寺内萬治郎が浦和の別所沼畔のアトリエを訪れ激励し、光風会に

舩木 研兒

舩木 研兒 1927 - 2015 島根県出身の陶芸家で、布志名焼窯元の家に生まれました。 父親は日本のスリップウェア作家として有名な船木道忠で、武内晴二郎と並ぶ代表的な存在として知られています。 船木家の船木窯は元禄時代に舩木次兵衛村政という人物が布志名の地に移り住み、延享元年に次兵衛村政の3人の子供たちがそれぞれの窯を築き、その内の一つである舩木平兵衛が弘化2年に分家してできたものです

音丸耕堂

音丸耕堂 おとまる-こうどう 1898(明治31)- 1997(平成9) 大正-昭和時代の漆芸作家。 本名 芳雄。高松市に生まれる。12歳の時に、石井磬堂に弟子入りし、木彫、彫漆の技術を習得。高松で江戸時代末期に活躍した玉楮象谷の作品に傾倒し、模作しながら彫漆技術を身につけた。 1920(大正9)年頃、22歳頃に、日本画を竹内栖鳳門下の橘(穴吹)香邨、書を入谷香涯(数太)に学んだ。1921(

9代 白井 半七

9代 白井 半七 1928(昭和3)年 - 1987(昭和62)年 京都芸術大学卒業後、8代と同様に乾山写を得意とし、その他にも、独自の作風の茶陶も製している。昭和55年、兵庫県三田市大原に移窯。8代と共に料亭「吉兆」と親交を深めており、茶道具や会席の器など「吉兆好」の作品をよく残した。  

15代 沈 寿官

15代 沈 寿官 1959(昭和34)年 - 14代の長男で本名は一輝。1983年に早稲田大学を卒業、1988年にイタリア国立美術陶芸学校を修了。1999年、14代在世中に15代沈壽官を襲名。