古美術用語集

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大田垣 蓮月

大田垣 蓮月  1791(寛政3)-1875年(明治8) 江戸後期-明治時代の歌人。京都知恩院の寺侍大田垣光古(てるひさ)の養女。2度むかえた夫や子供らに先立たれ、文政6年、出家し、蓮月尼と称した。自分の歌を彫り込んだ陶器 蓮月焼で知られる。和歌は上田秋成、六人部是香(むとべよしか)に学んだという。京都出身。本姓は藤堂。名は誠(のぶ)。家集に「海人の刈藻(かるも)」。出家後の蓮月は、

八木 一夫

八木 一夫 1918-1979  昭和時代の陶芸家。 大正7年7月4日生まれ。八木一艸(いっそう)の長男。京都出身。 京都市立美術工芸学校卒。沼田一雅(かずまさ)に師事。 昭和22年「青年作陶家集団」、翌年、前衛陶芸団体「走泥社」を結成。 オブジェ作品「ザムザ氏の散歩」を発表し、現代陶芸に新分野を確立した。 昭和46年京都市立芸大教授。 昭和25年パリ・チェルヌスキー博物館での現代

二代 宮川(真葛)香山 

二代 宮川(真葛)香山  安政6年~昭和15年(1859~1940) 横浜の陶芸家。本名半之助。帝室技芸員の初代香山を助け優れた作品を残す。大正5年(1916)初代香山逝去後、正式に二代香山を襲名する。帝展・各美術展に出品した。板谷波山と並んで関東の美術界に君臨した。昭和15年死去。83歳。

釉下彩

釉下彩 釉下彩とは、一般的に釉薬の下に下絵を描き、焼成により発色させる技法です。 釉下彩は、はじめは明治時代にドイツ人ワグネルが指導しました。その当時、香山は高浮彫で人気を博していましたが、その人気に溺れることなく、釉下彩を研究し、明治20年頃には身につけることに成功しました。 釉下彩により、多彩な色使いや微妙なグラデーション、やわらかい表現を描きだすことが可能になりました。しかしながら、微

森陶岳

森陶岳   1937年 岡山県備前郡伊部に生まれる。父は窯元六姓家の森秀次 1959年 岡山大学特設美術科を卒業 1962年 備前町伊部の生家で作陶活動を始める 1963年 第10回日本伝統工芸展に初入選する 1966年 日本工芸会正会員となる 1969年 日本陶磁協会賞を受賞する 1977年 全長46m、幅2.7m、高さ2.1mの大窯が完成する 1979年 大窯と大甕

森寛斎

森寛斎 文化11(1814)年 - 明治27(1894)年  幕末明治期の日本画家。長州(萩)藩士の子として生まれる。本姓石田、幼名は幸吉のち尚太郎、字は子容。天保2(1831)年大坂に出て森徹山に入門、円山派の絵を学び、のち徹山の養子となる。安政2(1855)年御所造営に参加し揮毫するが、幕末は国事に奔走、密使としてたびたび長州、京都を往復する。勤皇の志士と交わり、品川弥二郎とは以

棟方志功

棟方志功 1903年~1975年 1903年(明治36年) 青森県青森市に鍛冶屋の子として生まれる。小学校を出ると青森地裁の給仕になり、絵画を独学で勉強。 1921年(大正10年) ゴッホの「ひまわり」に感動して画家を志す。 1924年(大正13年) 画家を志し上京する。 1926年(大正15年) 版画家川上澄生の作品を見て感動し版画を志すきっかけとなる。 1928年(昭和3年) 版画

能 演目「翁」

能 演目「翁」   「翁」は、「能にして能にあらず」といわれ、まさに別格の一曲です。どのカテゴリーにも属さず、物語めいたものはありません。神聖な儀式であり、演者は神となって天下泰平、国土安穏を祈祷する舞を舞います。世阿弥が記した式三番は、父尉(ちちのじょう)、翁(翁面(おきなめん)とも)、三番猿楽(さんばさるがく)という、それぞれ老体の神が寿福を祈願して舞う三番の曲を指し、三番一組で

筒描

竹筒に注ぎ口をつけたものや、柿渋を引いた紙を漏斗状にしたものなどの中に、泥状の白化粧土などを入れ、その化粧土を器体表面に高盛り線を引いて文様などを描く技法。一般にはイッチン盛り、イッチン掛けと呼ばれる。