1929(昭和4)年 - 2013(平成25)年 大阪生まれ。1946年、川喜田半泥子に師事。1963年、川喜田半泥子没後に廣永陶苑を継承。大阪高島屋にて個展開催、以降、東京日本橋高島屋と共に個展開催。
1871年(明治4年)‐没年不詳 清風家は京都の陶家。初代は金沢の出であるが、1815年(文化12)京都に出て、仁阿弥道八の門に入った。四代与平は、1871年(明治4)三代与平の次男として京都に生まれる。陶技を父に、絵を田能村小斉(明治43年没)に学ぶ。1828(文政11)ごろ五条坂に開窯したのに創まる。1914年(大正3)三代与平が没すると、家業を継ぎ、四代与平を名乗った。父同様、名工の名が高
1851(嘉永4)年 - 1914(大正3)年 兵庫県に生まれ、京都で没。2代清風与平に入門し、その後、師の妹と結婚。田能村直入に絵を学ぶ。 明治22年頃、清風家の跡継ぎの夭逝にともない3代清風与平を襲名。明治26年、陶芸界最初の帝室技芸員となる。
1890(明治23)年 – 1977(昭和52)年 明治23年(1890)石川県金沢に生まれ。本名は虎子。初代蘇山の実弟・好直の次女。幼くして初代蘇山の養女となり、 初代の指導のもと作陶を学ぶ。大正11年初代没後、二代目を襲名する。大正13年第65回美術展覧会に『青影瓷尊式花瓶』を出品し銅賞受賞。以後、京都市工芸展、五条会展などにその制作を発表し、受賞を重ねる。作品は皇太
1852(嘉永5)年‐1922(大正11)年 明治・大正期を代表する京都の陶工。 金沢で生まれ、東京で彩雲楼旭山に陶画を学び、その後、九谷陶器会社に勤めた。のち石川県立工業学校彫刻科の助教諭となり、九谷焼の彫像を手がけた。1900年(明治33年)、京都の錦光山製陶所に招かれ、1907年には五条坂に自らの窯を開き、青磁の名作である「蘇山青磁」を完成させた。1917年(大正
1905年(明治38年)-1991年(平成3年) 京都に生まれる。父・表朔のもとで漆芸を学ぶ。1926年(大正15年)、21歳のときに聖徳太子奉賛展に入選し、創作活動を開始。その後、京展、帝展、文展などに継続して出品。1937年(昭和12年)には、パリ万国博覧会にて銀賞を受賞。1978年(昭和53年)には現代工芸作家展に出品し、「漆と共に50年」記念個展を開催。1981年(昭和56年)には、古希
1874年〜1943年 1874年(明治7年)、滋賀県安曇川町に生まれる。幼名は井上捨吉。蒔絵師・鈴木長真の養子となり鈴木表朔を名乗るが、後に髹漆(きゅうしつ)に転向し、二代木村表斎に師事する。 1909年(明治42年)には伊勢神宮の神宝の塗りを任され、1911年(大正2年)には高御座、御帳台、万歳幡など御大典に関わる重要な塗りを担当。1916年(大正5年)には内務省の御用達工となり、その塗り
1928(昭和3)年 - 1987(昭和62)年 京都芸術大学卒業後、8代と同様に乾山写を得意とし、その他にも、独自の作風の茶陶も製している。昭和55年、兵庫県三田市大原に移窯。8代と共に料亭「吉兆」と親交を深めており、茶道具や会席の器など「吉兆好」の作品をよく残した。
1926(昭和元)年 〜 2004(平成16)年 京都生まれ。1940年(昭和15年)、石黒宗麿に師事。国立京都陶磁試験場の伝習生として学んだ後、京都市立工業研究所窯業部の助手を務める。 その後は自宅の陶房を拠点に、陶芸活動に専念した。昭和33年、ブリュッセル万国博覧会グランプリを受賞。 昭和60年、人間国宝に認定。