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大田垣 蓮月

大田垣 蓮月 

1791(寛政3)-1875年(明治8)

江戸後期-明治時代の歌人。京都知恩院の寺侍大田垣光古(てるひさ)の養女。2度むかえた夫や子供らに先立たれ、文政6年、出家し、蓮月尼と称した。自分の歌を彫り込んだ陶器 蓮月焼で知られる。和歌は上田秋成、六人部是香(むとべよしか)に学んだという。京都出身。本姓は藤堂。名は誠(のぶ)。家集に「海人の刈藻(かるも)」。出家後の蓮月は、若き日の富岡鉄斎を侍童として暮らし、鉄斎の人格形成に大きな影響を与えた。京都でたびたび起った飢饉の時には、私財をなげうって寄付し、また自費で鴨川に丸太町橋も架けるなど、慈善活動に勤しんだ。住居としていた西賀茂村神光院の茶所で、明治8年12月10日、85歳で没したが、別れを惜しんだ西賀茂村の住人が総出で弔いをしたという。