11代 三輪休雪
1910(明治43)年~2012(平成24)年
11代三輪休雪は、萩焼の名門・三輪家の三男として山口県萩市に生まれました。本名は節夫。号は「休」(襲名前)、「休雪」(襲名後)、「壽雪」(隠居後)と変わっていきました。
1927(昭和2)年に山口県立萩中学校を卒業後、兄である10代三輪休雪(休和)に師事し、家業に従事します。1941(昭和16)年には三重県津市の千歳山窯で川喜田半泥子に短期間師事し、特に精神的な面で深い影響を受けました。
1955(昭和30)年、「休」と号して自身の作品を発表し始めます。それまでの約30年間は裏方として三輪窯を支え、置物制作など基礎的な修練に専念していました。
やがて、独自の「休雪様式」を確立し、日本現代陶芸界を代表する重鎮として高く評価されるようになります。兄・10代と共に完成させた「休雪白」をはじめ、「鬼萩」や「割高台」といった作品は、茶陶の枠を超えた造形美を持ち、まさに一個のオブジェと呼ぶにふさわしい芸術の域に達しています。