帝室技芸員
帝室技芸員の制度は、明治23年(1890年)から昭和19年(1944年)にかけて、皇室の後援のもと美術家や工芸家の保護と制作奨励を目的として設立されました。
明治維新以降、ヨーロッパから次々と新しい美術が導入される中で、日本の美術・工芸の衰退と美術家の経済的困難が顕著になりました。これに対し、工芸技術の保護と制作の奨励を図るため、フランスのアカデミーをモデルにこの制度が制定されました。
選考の過程では、宮内大臣によって任命された選考委員が、技術と人格の両面で優れた美術工芸家を推薦し、帝国博物館総長が招集する会議で最終決定がなされました。
帝室技芸員は、皇室から特別に制作を命じられることもあり、帝国博物館総長の諮問に応じる義務も課されていました。
この称号は、皇室の保護を受け、国家的な名誉を持つ美術家・工芸家に与えられ、選ばれた作家は年頭の天皇への参賀に迎えられるなど、大変名誉あるものでした。
制度の設立から昭和19年(1944年)までの間に、日本画家や工芸家を中心に洋画家や彫刻家を含む合計79名が任命されました。
その中で陶芸家は、伊藤陶山、板谷波山、諏訪蘇山、清風与平、宮川香山の5名のみでした。
戦後に新たに設けられた重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)は、芸能を除く工芸の部門だけで、約50年間で百数十名にのぼっています。
これにより、55年間でわずか79名しか選ばれなかった帝室技芸員の称号がいかに厳選された名誉あるものであったかが分かります。