初代 宮川(真葛)香山
初代 宮川(真葛)香山
1843(天保13年)~1916(大正5年)
天保13年生まれ。宮川長造の四男。幼名寅之助。
長造没後、明治3年に有栖川宮の勧誘と薩摩藩士小松帯刀の後援により横浜へ
移住、大田村字不二山下(現横浜市港区庚台)に窯を築いた。真葛焼「真葛香山」と称しました。
明治元年、茶人であった岡山池田藩家老 伊木三猿斎忠澄公の招きで備前虫明窯を
指導しました。
明治9年のフィラデルフィア万博を皮切りに、明治後半まで海外の万博に多く出品し
数多くの賞を受賞しました。
明治26年アメリカ国シカゴで開催された万国博覧会にも出品。
マクズウェアの名前が世界的に知られるようになりました。
そして明治29年(1896)には、陶芸界では3代清風与平に次いで二人目となる
当時として最高の栄誉である帝室技芸員に任命されました。
大正5年74歳没。
万国博に出品していた事もあり海外にも多数の作品が存在し、大英博物館、ボストンミュージアムはじめ多くの美術館博物館にも所蔵されており、現代でも海外では「マクズウエア」と呼ばれ国内外で高く評価されています。