1752年〈宝暦2年〉– 1811年〈文化8年〉 呉春は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した画家・俳人です。京都の金座年寄役・松村匡程の子として生まれました。画を大西酔月や与謝蕪村に学び、その後、円山応挙とも交流を持ち、自らの独自の画風を確立しました。 京都の四条東洞院に住んでいたことから、彼の画風を継ぐ一派は「四条派」と呼ばれるようになりました。
1895(明治28)年‐1988(昭和63)年 松原三五郎に入門、洋画で文展に入選したが、大正のはじめ日本画に転じ、竹内栖鳳に師事した。昭和3年「雪の大阪」、5年「烏城」が帝展特選。11年から母校の京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)で教えた。28年から青塔社を主宰。51年芸術院会員。62年文化勲章。岡山県出身。本名は昇一。
1902(明治35)年‐1989(平成元)年 山形出身。土田麦僊に学ぶ。昭和3年福田豊四郎らと新樹社を結成。5年帝展特選。21年日本美術院賞。代表作は連作「最上川」。61年文化功労者。1928年から京都近郊の大原に住み、大原の風景を題材にした作品を多数残して「大原の画仙」と称せられた。
1927(昭和2)年 - 2003(平成15)年 長野県生まれ。明治大学を卒業し、茨城県笠間市にある浄土宗月崇寺の住職の跡を継ぐ。その後、廃窯となっていた、山門下の窯を再興し、東洋陶磁の研究を行う。栃木県の田村耕一に師事。練上手の技法を研究し、完成させ、昭和44年には、第9回伝統工芸総裁賞や日本陶磁協会賞などの数々の賞を受賞。平成5年、人間国宝に認定。
1895(明治28)年 - 1984(昭和59)年 静岡市生まれ。東京高等学校図案科卒業後、生涯の師である柳宗悦と沖縄の染物紅型に出会ったことにより型染めを中心とした道に進む。1956年、人間国宝に認定。
1886(明治19)年‐1963(昭和38)年 奈良県安堵村生まれ。東京美術学校図案科建築部卒業。在学中にイギリスへ留学。帰国後、滞日中のバーナード・リーチと親交を結び,リーチが6世尾形乾山に入門する際に手引きと通訳をし、13年みずからも郷里に楽焼、次いで15年本焼の窯を築いて作陶の道に入った。37年帝国芸術院会員,44年東京美術学校教授、64年京都市立美術大学教授になる。55年色絵磁器により重
1947(昭和22)年 - 奈良県御所市に生まれる。昭和44年、作陶を始める。平成11年、裏千家茶道資料館にて「辻村史朗 壷と茶碗展」開催。平成15年、ニューヨーク・メトロポリタン美術館「ORIBE展」に出展。以降、日本各地、ニューヨークで個展開催。
1880(明治13)年‐1977(昭和52)年 写実画から出発し、表現主義的な画風を挟み、やがて洋画の世界で「熊谷様式」ともいわれる独特な様式、極端なまでに単純化された形、それらを囲む輪郭線、平面的な画面の構成をもった抽象度の高い具象画スタイルを確立した。「二科展」に出品を続け「画壇の仙人」と呼ばれた。
1895(明治28)年 - 1981(昭和56)年 山口県出身。 15歳の時から、祖父雪山および父9代に師事する。昭和2年、父の隠居に伴い10代休雪を襲名。昭和42年、三輪窯を弟(11代休雪)に譲り休和と号した。昭和45年、重要無形文化財(人間国宝)「萩焼」の保持者に認定。昭和48年、勲四等旭日小綬章。